ネットで行く青梅の旅

1,雪女出現地〜調布橋より撮影
 青梅市内で調布村の名残である調布という地名が、唯一残る調布調布橋から撮影した多摩川の写真。画像の真ん中に小さくブルーシートが貼ってある部分が渡しの跡である。
只、当時(明治30年代)調布村には、何カ所が渡しがあり。八雲に雪女談を伝えた惣八、おはなの住居の近くの渡しである故に、この渡しが有力であるとの事。これは、推理の範疇です。
 なおこの橋のたもとに雪女の碑を建てる事が決定しています。これは調布という言葉のイメージシンボルとして調布橋を採用した為である。

2,裏宿七兵衛の墓
 裏宿七兵衛と異名をとった大泥棒の墓である。厳密に言うと捕まり、さらし首になっていた七兵衛の首が流れ着いたのを葬ったものという。言わば七兵衛の首塚である。

3,赤子橋の怪
 40年〜50年前までは存在した怪異で、昼ともなく夜ともなく赤子の声が川から聞こえたという。現在では稚児橋(ちごばし)と違う名前で呼ばれている。赤子橋はかつて川に流された赤子の念が集まり妖怪化したものと言われ、渡る時は息を止めて渡らないといけないと言われた。

4,小豆婆
 裏宿七兵衛の首が流れてきた小川。そこにはかつて小豆婆も出たという。かつては滝のような急な流れが有り、その滝の音が小豆をとぐ音に聞こえたとも言う。

5,男井戸、女井戸(おいど、めいど)
 かつて水を乞うた旅の僧に多摩川まで水を汲みに言った住民に感動した僧が法力で杖を
たてて水を出したという井戸。女井戸はかつて小豆婆が出たという。

6,裏宿七兵衛の畑の跡地
天井や壁を駆け上がる俊足の怪盗裏宿七兵衛は今も青梅マラソンのランナー達の信仰を集めている。日頃は真面目な農民であった七兵衛の畑の跡地は、今は青梅図書館の敷地の一部になっている。なお七兵衛の屋敷跡、畑跡はいづれも怨霊のたたりがあり、後の所有者に呪いがかかったという。